茸採りの季節なのに



茸採りの季節なのですが、時間が取れず、特に今日は心が落ち着きません。というのも、ときどきチェックするこのブログに、イラクのことが書いてあったから。


そして、ニュースで盛んに伝えられている、ファルージャの町にアメリカ軍が行なっている攻撃が、たくさんの民間人犠牲者を出している恐ろしいものだと書かれているので。


「日本国際ボランティアセンター」という団体のイラク現地調整員、原文次郎さんという方が、ファルージャの人々の声を紹介しています。



誰もが、全てのものがファルージャで囚われの身になっている。女性、子ども、家族、歴史、人間性、そして平和が。そして世界は米陸軍部隊が市民を殺す様子、どんな軍用機が使われるのか、どんな兵器がファルージャで試されるのかをただ見ているだけだ。世界は死に体になっていて、いなかる感情も、反応も示さない。


あなたはファルージャが意味するものを知っていますか?それはこの世界のどの都市にも当てはまることです。それはヒロシマであり、カブールであり、ファルージャ人間性の漆黒の将来‐民主制と平和の名のもとに行われる殺戮を意味します。ファルージャファルージャの人々のもとにあるものを意味するだけではありません。ファルージャはこんにちの世界のシンボルなのです。大魚が小魚を食べてしまうような世界の。


沈黙を保っていると、あなた方の街が、あなた方の歴史が次の番です。いかにして最新の技術が容易に無実の子どもたちや脆弱な人々を殺せるのかを見続けなさい。そして次はあなた方の番です。


誰でも、きょうの犯罪に否定的な立場を取る人々が、歴史と人間性の前に照らして、(あすには)この犯罪に手を貸す者になるのです。誰も臆病さやおびえを免罪にはしないのです。それが、シェイクスピアの言うところの「なすべきか、なさざるべきか」という問題なのです。


ファルージャはわれわれの嘆きを期待していません。ファルージャはすべての良心を呼び覚ますような強い叫びを必要としているのです。


今日、地下鉄の中で、若いきりっとした母親が肩からさげた袋にちょこんと入った小さな小さな、とても可愛い赤ちゃんを目にしました。あまりに可愛くて、こちらをじっと見て、あまりに可愛いので見ているだけで何故か悲しくさえ感じてしまうような、赤ちゃん。


ファルージャにも、こんな赤ちゃんは、いるだろう。今、どうしているのだろう。砲撃の音に怯えて、無差別な爆撃の犠牲になってしまうのだろうか。そんな思いが頭に浮かんできました。


ファルージャでは、茸も震えて出ないのでしょうか。あるいは、松茸が雷を好む、と言われるように、爆撃の中でも茸は生えるのでしょうか。くすぐられ犬も、爆弾にくすぐられるのはいやだろう。


少し調べてみたら、Fallujahというページにも、たくさんの情報がありました。


どうして小泉首相は、こんなひどいことを支持しているのでしょうか。


社会的なお話になってしまいました。


週末は、茸採りに行きたいなと考えています。そろそろ、里山はクリタケとムラサキシメジだけになる頃でしょうか。


そうそう、11月3日、少し季節はずれのコムラサキシメジ[Lepista sordida (Schum.: Fr.) Sing.]が群生していました。写真を紹介します。普通は、もう少し明るい紫色。身近なところに生える茸ですが、味はなかなかのもの。さっと茹でて、ラタトゥイユの上にちらすと、楽しめます。作り方は、そのうち紹介したいと思います。